RUN for UTMB®︎あるいは僕の、走ることについて語るときに僕の語ること。

2018年UTMB®リタイアからはじまる50代トレイルランナーの挑戦記。

UTMF2022参戦記  テールエンダーから見たUTMF #1 プロローグ

2012 完走(42:16)
2014 A5にて胃の不調によりリタイア
2015 A3にて胃の不調によりリタイア
(2018 ボランティア)
2019 A4にて胃の不調によりリタイア

これが2021年までの、僕のUTMFの歴代記録だ。
まったくもって情けない。

第1回UTMFは、2011年が記念すべき初開催のはずだった。
しかし理由は忘れた(3.11だったか?)が翌年2012年に延期となった。
実は2011年は仕事が多忙でほとんど練習できておらず、もし予定通り開催されているとリタイア間違いなしだった。それが予期せぬ延期となったおかげで少しは準備をすることができ、日本初の100マイルウルトラトレイルレースを完走することができたのだった。

僕の2012年までのランニング歴は1997年から10年間のブランクがあったのちロードレースにも参戦しておらず、トレイルの草レースのみを走っていたばかりで、UTMFは本格的なレースとしては久しぶりの大会だった。

ほとんど戦略を持たず、ペース配分も補給計画もなく、ただゴールだけを目指して走り仮眠も4時間もとってしまったが、総合順位でまん中より少し後ろ、まだ後ろに200人ほどもいる成績だったため気をよくした。トレイルランニングという言葉が上陸していなかった80年代から山を走っていた僕は、てっきり翌年から順位を上げていけるとばかり思っていた。何の根拠もなく。

ところが、そういう甘っちょろい考えはトレイルの神を怒らせた。
練習不足のまま出た翌年のSTYでさっそく痛いしっぺ返しを食らい、同年のハセツネで初めて胃を壊し這々の体で完走した。
ここが地獄の始まり。49歳のときだった。

その後はレースに出るたびに胃を壊し続け、リタイアの山を築いた。
それでも何の戦略も立てず、思うがままの練習を続けて2017年には初CCCを完走。「あれ?行けるのか?」と勘違いしたのも束の間、翌年に挑んだUTMB®はあっけなく玉砕した。当然だ。

そんなわけでここ9年間は、100マイルを一度も完走しておらず、もはや「マイラー」を名乗ることも恥ずかしく思うようになってきた。50代に入りじりじりと後退してきた僕の体力と胃の調子は回復の兆しが見えない。今年のUTMFを完走できなければ、ポイントもすべて失うことになり、次にウルトラトレイルに出られるのはいつになるかわからない状況になってきていた。

頼みとなるのは、2019年のUTMB®前の8月から契約しているウルトラランニングコーチTさんのサポートだった。もはや我流で練習してもジリ貧。仕事も年々外部から期待されるようになり結果を出すことが求められ、ストレスも溜まるいっぽう。そんななか、効果的な練習メニューを自分で考えて組むのは無理だと悟り、経験豊富な彼にコーチを頼むことにしたのだ。

ところがその矢先から僕が故障を繰り返し、思うように練習メニューをこなせなくなる。
故障はいつもふくらはぎ(ヒラメ筋)に起こった。小さな筋肉なのに、少し傷めるとなかなか治らない。2020年は、3月(左)、5月(右)、8月(右)と傷め、2021年は10月(右)、12月(右)。
UTMFに向けての準備がようやく始められたのは2022年の年明けからだった。
2月に3年ぶりに出たフルマラソンは4時間4分と過去最悪。まるで初マラソンのときのような疲労感が走行中にあり、2か月後に迫ったUTMFの完走が確実に遠のいた気がした。
ようやくトレイルに入ったのは2月の半ばも過ぎていた。
最初のトレイル練習は3時間走り続けることが目標。距離は17km足らずしか走れなかった。
結局3月末が近づいた頃にようやくトレイルでの調子も出てきたが、すぐにレース前のテーパリングに入り、ほとんど走り込むことなく本番を迎えることとなった。

幸いだったのは、Tコーチが慎重に疲労抜きメニューを組んでくれたおかげで調子は良く、ここまでの疲労が完全にぬけていたこと。そしてもちろん故障がないこと。
疲労が抜けているのは、毎週通っているN整骨院のN院長の施術のおかげでもある。40年以上スポーツ整形や整体に通ってたくさんの先生の施術を受けてきたが、彼の施術は抜きん出ている。毎回90分のケアのあとは必ず身体が軽くなり疲労がとれることを実感できる。腕のいい信頼できるトレーナーに巡り会うことができるのも、この歳までマイラーでいるための条件かもしれない。

僕自身のUTMFを10年の節目にふりかえってみると、失敗の連続であった。
それでもあきらめず、準備をしてきたUTMF2022。参考までにこの一年間の走行距離を記しておく。あらためて見てもウルトラトレイルランナーらしからぬ凡庸な練習量である。

22年/3月 183km
22年/2月 235km
22年/1月 258km
21年/12月 318km
21年/11月 29km(10月末の故障でほぼ走れず)
21年/10月 188km
21年/9月 175km
21年/8月 188km
21年/7月 218km
21年/6月 174km
21年/5月 234km
21年/4月 193km

コロナ禍ではなく怪我にさいなまれた2020年、2021年にUTMFが開催されていたら、とてもじゃないが完走できなかったところだ。

10年前第1回UTMFが翌年に延期となって完走できたように、僕はこの2年間に怪我を出し尽くして、奇しくも10年ぶり2度目のマイラーに58歳で返り咲くことができた。

タイムは42時間42分46秒。

総合順位1440位、ラストランナーの30人前(1時間前)。

この完走記は、謙遜でもなく三味線でもない、事実としての最後尾(テールエンド)ランナーから見たUTMF2022の報告となる。