RUN for UTMB®︎あるいは僕の、走ることについて語るときに僕の語ること。

2018年UTMB®リタイアからはじまる50代トレイルランナーの挑戦記。

UTMF2022参戦記  テールエンダーから見たUTMF #8 U7〜フィニッシュ

後でわかったが、きららでは豚汁が食べられるはずだったが、僕らが到着する時間には売り切れていたようだった。これも哀しきテールエンダーの宿命といえるだろう。

U8二十曲までは13.6km、予定タイムは4時間38分。
きららを出ると、もうランナーは前後にかなり少なくなった。
明神山、切通峠と上り続け、高指山を目指す頃に徐々に疲労が折り重なってきた。ついに前進し続けることができなくなり、ときどき休止する。
トレイル脇で座り込む人、寝転ぶ人が目立つようになってきた。

午前0時を過ぎて睡魔も襲ってくるようになる。ただ、胃の調子も回復していないため、これ以上カフェインを投入するのは胃にとってリスクがあるかもと思い、カフェインは自重する。
誰もがみな疲労が極限に来ていて、進んでは休むを繰り返すため、追い抜き追い抜かれが続く。
山伏峠から石割山分岐、石割山までが超絶長く感じる。

脚の持久力はまだ残っているが、ラスボスの杓子に残しておくため、ここで余計なペースアップはしたくない。ゆっくり進むぶん、睡魔が襲ってくる。少しナッツバーをかじってみるが、もう美味しく食べられないため気分的には逆効果だ。

後ろから来た速いランナーを次々とやり過ごし、もはや前後にランナーは見えない。闇夜の山道に自分一人が前進している。長く辛い上りが続く。つくづく上りが弱いと、じぶんに対して失望する。
睡魔に襲われているうちに、面白い現象が見えるようになってきた。

幻覚だ。
前の人が照らす斜面にコンクリートの建物の壁を見たり、足下の落ち葉や土の模様のなかに、瞬時に人や動物の顔が浮かび上がってくるのだ。目を移すとすぐにそれは現れる。その光景が興味深く、少しは気が紛れるようになる。そして、何度か上り下りをしていると、このコースは知っているし、なんなら昨日ここを走ったよな、と既視感を覚える。近くを同じペースで歩いているランナーに思わず「ここ通るじの2回目ですよね?」と言いたくなったが、それはやめておいた。この幻覚は夜が明けても続いた。

結局石割山の3km足らずの300mの上りに1時間20分もかかる。
下りになると先行者にどんどん追い付き、先に行かせてくれる。どうやら僕は同じレベルの人たちのなかでは、上りは遅く、下りは速いようである。
二十曲峠到着、2時47分。予定時間よりも54分遅れた。
思い返すと、この区間が今回のUTMFで最も苦しんだセクションだったが、それこそがテールエンダーの醍醐味だとも言える。自虐的に言えば。
テント下で少し椅子に座って休む。この間、寒さで水を飲む量が減っているため、お湯をもらって水を飲む。ずっとペースを守ってきたので、筋疲労はそれほどでもない。
次は事前情報では最も辛いと聞いていた杓子山だ。
これまでは最初のほうに上っていたためそんなにしんどいといった記憶がない。

二十曲を出てひたすら上り続ける。
いくぶん体力も戻ってきたように感じる。
相変わらずコースの既視感は強い。
たんたんと上っているうちに、近づいていた後方の選手が再び見えなくなることもあった。
杓子山まではずいぶんアップダウンを繰り返す。いつになったら上りの一辺倒になるのかと思う。
やがて三点支持や鎖で岩を上るセクションで後続との距離が一気に離れる。こういった岩場は僕は得意だが、僕のまわりのトレイルランナーは下りと同様苦手な人が多い。
杓子山までの山中にもスタッフが待機していて頭が下がる思い。あまりに着かないので、思わずいま上っている山は杓子山かと尋ねたら、そうではないとのこと。林道に出て右に折れて・・・のような話しを聞くが実際は林道などなく、唐突に杓子山山頂に着いた。たぶん聞き間違えたのだろう。山頂には有名な鐘があり、あたりりはまだ漆黒の闇だった。

山頂を後にして下り続ける。大腿四頭筋や膝に疲労感や痛みもなく、順調に下る。先行者に追い付き追い抜く。夜が明けてくる。野鳥のさえずりが清々しい。広い林道に出て、明るくなってきて緊張感が解けていく。誘導スタッフがエイドまであと6kmだと教えてくれる。そうしてのんびり下っていると、ふいに後ろから足音が猛スピードで迫ってきて、若者が「関門まで時間がありませんよ。結構飛ばさないと!」と教えてくれた。え?そうなのか。ふと時計を見るとあと1時間ある。ずっと下りなので余裕だと思ったが、じぶんの計算が間違っているのかもしれないと思い、僕もスピードを上げて走り出す。幸いいい調子で走れることがわかり安堵する。

山を下りてからもすぐにエイドには到着せず少し焦ったが、ほどなく富士吉田エイドの明見湖公園に6時45分に着く。スタッフの方に「5分前ですね」と確認すると「まだ15分ありますよ」と告げられる。そうか、インが6時50分とあるけどアウトの7時までに入ればよいのかと合点する。

体力も残っているし、ここまで来れば完走はほぼできそうではないかとこの時点で思ったが、それは大きな間違いであることを後で知った。椅子に腰掛けてこのレース中、はじめてコーラを飲む。
とそのとき、携帯にTコーチから電話が入る。
「いま、どこにいらっしゃいますか?」
「富士吉田エイドにいます」
ふと出口のほうを見るとコーチがそこにいた。
こんな早朝に駆けつけてくれたのだ。
いちどコーチの元に行き、現状報告をする。
ここでも「あとはキロ18分で行けます」と励まされる。

念のために救護に寄って、胃薬を所望するが、売り切れとのこと。
仕方なく用意をしてエイドをゆっくり出発。
関門閉鎖4分前にエイドを出る。
もう後には誰もいなかった。文字通りのテールエンド。
しかしまだまだ走れそうなので、ここから先行者に追い付くのは容易であることがわかっていた。
エイドを出てコーチと話しているところにライターのEさんがカメラを構えてやってきた。コーチの知り合いらしい。何枚か写真を撮ってくれる。
しばらくコーチが僕に併走して走ってくれ、いい感じだとプッシュされる。

町を抜けてラスボスの霜山の上りに取り付く。
約4kmで約640mの上り。この上りも「ここ昨夜に続いて2回目やな」と半信半疑になって既視感たっぷりに上り続ける。杓子までの疲労感や睡魔はもうなく、たんたんと一定ペースで歩き続ける。2〜3人くらい、復活した人に追い抜かれるが、もう追う必要はない。
小雨が降るなかついに山頂到着、41時間。あとは下るだけ。
杓子の下りで通ったトレイルかな、とまだ既視感を持ったまま下り続け、途中のスタッフに「これで上りは終わり。あとは下るだけ」と言われるが、また小さな上りが出てきてトレランレースあるあるに苦笑する。近くを走っていた若者は「え、まだ上りある・・・」とつぶやき、一気に戦意を喪失したようで脚を思わず止めていた。ついに舗装路に下りたと思ったら、またトレイルに入り、最後にちょこっと上ってから本当に最後に下って富士急ハイランドに続く道路に出た。

ついにゴール。待ちに待った100マイルのフィニッシュだ。
ところが道路に下りてもまだ2kmくらいはあった。人気のない道を迂回するように何度も曲がりながら走る。これが河口湖だったら沿道に人がたくさんいて完走を祝ってくれるのに、とふと思ったが贅沢は言えない。辛抱のいる道で、走るモチベーションも低くなり、先行者もずいぶん歩いている人が多くなる。もうここに来て先行者を追い抜くのも野暮だと思う。特に前に若い女性だとなおさら。
コニファーフォレストに入り、フィニッシュゲートに向かう前、前のランナーを抜かさないように止まって待ってみたが、フィニッシュラインで感動のゴールのためにさらに待たされて、ようやくじぶんの番が来てフィニッシュ。
フィニッシュしたら10年ぶりのマイラーである。どれだけ感動するのだろうと期待していたが、まったくそんな感情が湧かず。六花氏とグータッチして、公式のカメラにポーズをとって、静かに僕の100マイルは終わったのだった。まあ、そんな現実は、映画や漫画のようにはいかないということだ。

そしてゴール後、ライターのEさんが僕をみつけてくれて、しばしインタビュー(?)を受ける。仕事以外で取材をされることは無いので、ちょっと話しすぎた。『RUN+TRAIL』に載るらしい。

こうして長年の宿便が出たような、僕の10年ぶりの100マイルが完結した。
あらためて、この偉大なイベントを開催してくれた鏑木会長はじめ関係者の皆さまに敬意を表したい。
またこの完走は、TコーチのサポートとN整骨院のN先生なしにはあり得なかった。あらためて感謝したい。
そして、このチャレンジができる環境を与えてくれるスタッフに感謝。
最後に、長年僕のチャレンジを見守ってくれている家族に感謝したい。

次は夏のTDS®。いまの実力では完走は到底無理なため、さらに精進して結果を出したいと思う。

やっぱりウルトラトレイルレースは完走してなんぼだから。

UTMF2022参戦記  テールエンダーから見たUTMF #7 U6〜U7

2日目も日没。さあ、ここからがテールエンダーにとっての正念場。疲労と睡魔とうまくつきあいながら前進し続けなければならない過酷な時間帯を迎える
U7きららでは仮眠を予定している。きららまでの設定タイムは2時間21分。大平山の上りもそれほど苦しむことなく2時間20分で到着。ただし胃がずっとよくならないため救護所に行き胃薬を求めると「皆、そう言って来る。ストレス性の胃潰瘍やな」と錠剤を一錠処方してくれる。
「これで明日の11時まで持ちますか?」
「効くと思うよ」
「念のためにもう一錠いただけませんか?」
「一処方、一回の投薬しかできんのや。8時間空けないといけないので次のエイドでもらって」
「はいわかりました。ありがとうございました」。
とりあえず薬を飲んで、仮眠テントへ。時刻は20時10分。ここの関門(エイドアウト)時刻は10時50分。時間は余裕があるように見えるが、この時点で関門時刻までいてはおそらく完走はできない。仮眠というより、少しだけ横になって身体を休める。広いテント内にはランナーは4,5名しかいない。その中には、たぶんここで終わるつもりである爆睡している人もいるので油断はできない。
気温が下がってきたためTシャツのしたに保温性のあるインナーを着ようとバックパックを探したが見当たらず。どうやらドロップバッグから入れ替えるときに漏れたようだ。保温ミドルレイヤーでは暑くなるため、レインの上下を着る。
テントを出ると腹が減っていることに気づき、コンビニ製の塩おにぎりをもらう。ストーブの前の椅子に座って1個まるまる食べる。久しぶりの塩おにぎりは、意外なほどおいしかった。
そのタイミングで、エイドスタッフがエイドの撤収作業を開始した。おにぎり何個でも持って行ってと声をかけられるが、形を保ったまま携行できる場所が思いあたらなかったため辞退する。
トイレを済ませて21時12分、きららを出発。

UTMF2022参戦記  テールエンダーから見たUTMF #6 U5〜U6

朝霧の精進湖を出発する前に眠気覚ましのカフェインを投入。
しばらく単調なロードが続き、ときどき樹海を通る。じわじわ上る長いロードでは、吐き気もあってときどき歩きを入れながらしか走れない。精進湖でしこたま水を飲んだため尿意をもよおす。がまんして鳴沢氷穴売店でトイレを借りる。尿の色は正常に戻った。自販機で水を購入してフラスクを満たす。天気がよく、気温も上がってきた。紅葉台を上る景色が第1回を思い出す。あの年は、五湖台が最後の上りで、あとは河口湖に下りてゴールだった。しかし今回は五湖台で、まだ半分を過ぎたところ。勝負はまだまだわからない。10年前と同じく、冠雪した富士山が鮮やかに見えて写真を撮り、しばし小休止。胃はやや痛みはあるが、なんとか持ちこたえている。

河口湖町に下りて、今回初めて登場する富士急ハイランドエイドに到着したのは11時50分。エイドには選手はまばらで、一瞬関門時間が近いのかと警戒したがそうではなかった。ドロップバッグを受け取る。ドロップバッグを受け取って、まだ体力気力があることがうれしい。汗もかいて不快なため着替えをするためテントに向かう。スタッフ氏から仮眠するかと尋ねられ、着替えだけしたいと答えると四方が塞がれたテントに案内された。中には3名の先客がいた。中には明らかにアフターウエアに着替えている人がいて、心中を察する。自分も何度、その無念を味わってきたことか。こういう場では何も話さないことが大人の嗜みである。木製の荷物パレットがベッド代わりに床に置かれていて、その一つに陣取る。1人1パレットあるため、余裕をもって着替えられた。全身をウエットタオルで拭きさっぱりさせ、短パンと帽子以外はすべて新品に着替える。これだけでずいぶんリフレッシュされるものだ。特に晴天の昼間なので、余計にすっきりする。例えばこれが、深夜の雨の中であったら寒さと湿気で、それほど気分転換にならない。かつての上州武尊がそうだった。

テントを出て、飲食物を物色するが、あまり食べたいものがない。水を補給して、あんパンを半分食べる。ドロップバッグに用意した補給食は、胃が気持ち悪くてどれも食べる気がしない。空腹感は無く、体力気力の減衰も感じられないためトイレを済ませる。エイド空間が広いせいか、ほんとうに選手が少なく見えて寂しい。スタッフの人も手持ち無沙汰そうだ。1時間ちょっと滞在して13時過ぎにエイドアウト。フーディニは脱いでTシャツ1枚でちょうどいい。

数キロ行くと『道の駅富士吉田』がありピットイン。自販機で水を購入してその場で飲む。冷えた水が胃に染みる。道の駅を出て、道を横断しようとしたころ、停車中の車から自分の名を呼ばれる。車を降りて駆け寄って来たのはTコーチだった。東京から応援に来てくれたのだ。僕の位置を確認してあたりをつけて待っていてくれたのだと思う。思いがけない再会に感激する。「いい顔してますよ。いけます、いけます」と励まされる。胃をやられたこと、それでもなんとか持っていること、カフェインが効いていることなど、いまの自分の状況を訴える。Tコーチは、頷きながら聴き「行けます、行けます」と完走に向けてポジティブに鼓舞してくれる。トレランコミュニティにほとんど知り合いがいない僕は、こうしたことに慣れていないので、ずいぶん励まされた。2割ほどエネルギーがチャージされたような気分になって、お礼を言って別れた。

U6忍野まで難所はないが意外と時間がかかった。空には雲がかかってきて、すっかり日が傾き時刻は17時を過ぎて気温も急激に下がってきた。トイレに行き、水を補給。出発するランナーをエイドスタッフが拍手で送り出すのを1人2人と見送る。胃は不調のままだが、走れないことはない。きららまでひと山。ヘッデンを用意して、フーディニを着て出発した。

UTMF2022参戦記  テールエンダーから見たUTMF #5 U2〜U4

U3本栖湖までは2時間20分の予定。約10kmで400mの標高をひとつ上るだけの足慣らし区間だ。気温がぐっと下がってきた。フーディニを着こむ。
ふもとっぱらキャンプ場を過ぎ、最初の長い上りが始まる。ここまで胃の不調は起きていないが、いつもはだいたい80kmくらいから具合が悪くなってくる。胃の調子を気にしながら恐る恐るパワーウォークなどせず、ゆっくりと坦々と上る。80kmを過ぎても胃はまだおとなしくしてくれている。このまま行ってくれと願いながら本栖湖到着。予定より12分遅いがまだまだ余裕がある。焦る必要はない。本栖湖では水のみの補給。この区間は寒さもあり汗もあまりかかなかったため700mlしか飲まなかった。

U4精進湖は前回2019年にリタイアした場所だが、ルートが変わっているため疲労度は全然違う。最初の上り中之倉ピークを越えるあたりから胃に違和感を覚えるようになってきた。スタートから10時間が経過している。まだそれほど痛みや吐き気は強くないためペースは落とさずに進むことはできる。ただ眠気が出てきた。精進湖は唯一体育館で眠れる場所なので、少しは寝ようと思うがスペースが無いかもしれない。ダメージを受けない心の準備はしておこう。

パノラマ台に上がると漆黒の夜に富士山が影絵のシルエットになってくっきりと浮かび上がっていた。写真を撮っているランナーも多かったが、僕のiPhoneではきれいに撮るのは無理だった。夜が明ける頃、精進湖に到着。入り口付近のトイレに長い列ができていたが、僕はとりあえず体育館の様子を知りたかった。スタッフに促されて中に入ると、一人用のマットがないスペースに寝転んでいる人もいた。どこで寝ようかと思案していると、ちょうど一人が出ていく準備を始めた。すかさずそのスペースに滑り込み、靴を脱ぎエマージェンシーヴィビイを広げて中に潜って眠った。時刻は5時10分。コロナ対策で1時間だけ仮眠が許される。スタッフが「5時半でーす!」と大声で目覚ましコールをしてくれたとき、思わず自分も出なくちゃいけないのか?と焦ったがそうではない。30分ごとにコールしてくれているらしい。そうとわかって安心して眠り、6時のコールで起きて6時10分には体育館を出た。トイレの長蛇は解消されていたのでゆっくりと用を足し、ちょっと腹がすっきりした。

外のテントで補給をしようと思い、おもてなし食のぞうすいをいただく。ところが胃が拒む。申し訳なく思いながら3クチ食べてあとは残した。その代わりに水を飲めるだけ飲む。フラスクに水を満タンにしてエイドを出発。胃は不穏な感じではあるが走りにはそれほど影響なさそう。だましだまし行くしかない。

次はドロップバッグのある富士急ハイランド。22km、約5時間の長い道のり。幸い天気は良さそうで、気持ちのいい道のりになりそうだ。

UTMF2022参戦記  テールエンダーから見たUTMF #4 U1〜U2

スタートからU1までは下り基調。林道や舗装路、そして有名な高圧線下のアップダウンと続く。服装はTシャツ1枚と短パンで正解だった。暑すぎるということはないが、汗はかく。走り出して40分くらいする頃から、後からスタートした第4ウエーブの選手にどんどん抜かれるようになる。手元の時計でキロ6分〜7分を維持して飛ばさないように注意して走る。調子はいい。30分ごとに補給アラーム設定して、ジェルとナッツバー、給水を怠らないように意識する。1時間30分くらいでフラスクの水が切れたため、ストップして道ばたでパックに用意していた水を入れ替える。その間にもどんどん追い抜かれていく。そんなことをしているのは自分だけなのでm、皆水は大丈夫なのかと不思議に思った。高圧線下までの林道は淡々と走る。

高圧線下でお決まりの渋滞。夕日に向かってアップダウンを繰り返す。この区間はシングルトラックとなり単調で、何度走っても気分的に萎える区間だ。途中でヘッデンを点灯。ここまでですでにだいぶテールエンドに近くなったせいか後ろから急かされることもなくU1富士宮に予定より4分速く到着した。ミニドーナツ3個をその場で食べて1個は持ち、水を補給。次のU2麓まで、コース変更で走れる区間になったため水2リットルではやや心許ない気がしてその場で水も500mlくらい飲んだ。

U2麓までの「迂回路」は若干の上り基調でロードが多くペースが上がる区間だと思うが、すでに僕のまわりは後ろから猛スピードで追い抜いていく人もおらず、落ち着いて自分のペースを刻んでいる人がほとんどだ。いくつかのキャンプ場を通り、焚き火を囲んで夜の団欒をしているキャンパーを横目に走る。キャンプも好きだが、今はあちらにいるより走っているほうが良い。じぶんがもしキャンプをする側であったら、たぶんランナーを羨ましく思っただろう。

U2麓到着、6時間41分。
かつて、このエイドで悶絶した記憶がよみがえってきた。とにかくここは寒くて震える。屋根のあるドームの下に焚き火を燃やしてくれているのが毎回ありがたい。すでにシートの上に寝転んでいる人も少なからずいて、過去のじぶんを思い出す。麓といえば富士宮やきそばである。ドームのなかに無いなと思っていたら、外のテントで大勢のボランティアさんが作ってくれていた。焼きそばをいただき、再びドームに戻って焚き火の前でゆっくり休みながらおいしくいただいた。量は物足りないが、味はいい。UTMFでいただくエイド食のなかでいちばんの好物で、エネルギーが満たされる。30分ほど滞在。

身体はやや疲労感が出てきたが、メンタルは全然大丈夫。余裕を持って楽しめている。何よりも、ここからがやっと本格的なトレイルレースになる期待感のほうが大きい。今年のこの調子で、この先どのくらい走れるのか。そんな期待を持って麓エイドを後にした。

UTMF2022参戦記  テールエンダーから見たUTMF #3 スタート

レースデイ。
6時前に起床。6時半から朝食にレストランへ。選手よりも普通に仕事の人が多い。特に建設業の方が目立つ。ビュッフェメニューが意外と充実している。サラダをたっぷりとれるのがうれしい。あと玉子焼き、ウインナー、納豆、味噌汁、白米、牛乳、コーヒーで腹を満たす。
コーヒーを持って部屋に戻りチェックアウトの11時まで休憩。
COROSのデータによると、「疲れる状態」は、「32 完全にリカバリー」。「ベースフィットネス 71」「短期負荷 48」「最近の減量により、体はよく回復し、運動能力の発揮につながります」という評価。ちなみにレース6日後は、「67 大きい」。「ベースフィットネス 69」「短期負荷 143」「最近の負荷は高いです。オーバートレーニングになる可能性があります。ご注意ください」と出た。なかなか回復に時間がかかるようだ。

ホテルをチェックアウトして、ホテルの駐車場から11時15分発の専用バスに乗る。
時間調整のためか市役所前でバスを降ろされる。仕方なくマクドダブルチーズバーガーとカフェラテでランチ。1時にふたたびバスに乗って、スタート地点の『富士山こどもの国』まで。
朝から汗ばむほどの陽気で気持ちの良い晴天。バスのなかでうとうとするが、一時間足らずで到着。もうちょっと寝ていたい。

久しぶりのこどもの国は、前回2019年は雨だったため、なんだか印象が違ってのどかな雰囲気にあふれていた。

1時間後ろ倒しになって午後3時半となった第一ウエーブのスタートまでもまだたっぷり時間がある。ウエーブは15分ごとに出発し、第3ウエーブの僕は午後4時スタート。ゆっくりと用意をして荷物とドロップバッグを預ける。スタートエリアに入る際に最後の検温があった。

この場所は、雨が降ると雨を遮る場所が少なくかなりストレスとなるが、好天になればピクニック気分でスタートを待てる。
芝生の上で寝転ぶ人、仲間と談笑する人、記念撮影する人、誰もが自然と笑顔になる。
今年は3年ぶりということもあって、心から待っていたこの日がついにやってきた喜びが、青空の下におだやかにひろがっていた。それだけでも、祝祭気分を盛り上げてくれる。
僕自身もがけっぷちの身を忘れて、おだやかな気分でスタートを待つことができた。

第一ウエーブのスタート時刻が近づいてきた。
鏑木氏による開会宣言、六花氏によるUTMFテーマ音楽演奏などでランナーたちの高揚感が高まっていく。定刻、六花氏の熱い思いあふれるMCによって、ついにUTMF2022がスタートした。

第一ウエーブから30分後、僕のいる第三ウエーブもスタート。天気は最高に良いし、沿道からの声援も心地よい。僕自身はあまり高揚感もなく、良く言えばふだん通りにリラックスしてゆっくりと走り出した。

最初のエイド富士宮まではほぼ平坦な21.5km。僕の目標平均ペースは、キロ8:30。ずいぶん汗をかきそうだし、水分補給だけは気をつけて行こう。

UTMF2022参戦記  テールエンダーから見たUTMF #2 前日

最近毎朝乗るようになった体組成計で出発前の計測。

久しぶりに「プロアスリート」の表示が出た。吉兆である。ちなみに体重60.25kg、体脂肪率9.2%。

昼食にビールと但馬牛牛飯とアボカドサラダを買って、新富士駅に15時半頃に着くこだま号に乗車。

 

新富士駅に到着後はまずCOVID-19の抗原検査に並ぶ。

ランナーの数はまだそれほど多くなく、検査はスムーズ。

鼻から採取する検査で緊張の結果待ちだったが無事に陰性。

こんなことはもう、今年限りであってほしいものだ。

 

次に受付と必携品チェック。

ヘッデン2種類と予備バッテリー、レインジャケット&パンツを重点的にチェックして、これもクリア。

これで受付は完了。とてもスムーズに済んだ。

2018年はシューズの洗浄具合まで確認して、ランナーたちは困惑していたが、今回は無し。

 

駅でコーヒーを飲み休憩し、ホテルへ徒歩で移動。

チェックインを済ませて部屋で休む。

装備品最終チェックと、服装のチェックをした後、夕食までに買い出し。

特に、今回初めてコンタクトレンズを使うため目薬は調達しておきたかった。

幸いドラッグストアをみつけて購入できた。ついでに補給食も書い足した。

途中みつけた地元の飯屋に入り店員の老婆に声をかけたが、こちらを一瞥して無言でレジ打ちをし続けたのであきらめて店を出た。

日が暮れると予報通り雨が本降りとなる。

雨天を見越して天子山地を迂回するルートに変更となったが、確かに大正解だったようだ。

 

夕飯は結局ホテルで。

ビール、トマトサラダ、肉豆腐。いつものように糖質オフ。アイアンマンの頃のようにカーボローディングはしない。

レストランには誰も見ていない巨大なテレビがあり、大音量でくだらない番組を流している。

 

部屋に戻り、大浴場に入ってから、夕方コンビニで買ったバーボンを飲み午前0時すぎに寝た。