RUN for UTMB®︎あるいは僕の、走ることについて語るときに僕の語ること。

2018年UTMB®リタイアからはじまる50代トレイルランナーの挑戦記。

UTMF2022参戦記  テールエンダーから見たUTMF #8 U7〜フィニッシュ

後でわかったが、きららでは豚汁が食べられるはずだったが、僕らが到着する時間には売り切れていたようだった。これも哀しきテールエンダーの宿命といえるだろう。

U8二十曲までは13.6km、予定タイムは4時間38分。
きららを出ると、もうランナーは前後にかなり少なくなった。
明神山、切通峠と上り続け、高指山を目指す頃に徐々に疲労が折り重なってきた。ついに前進し続けることができなくなり、ときどき休止する。
トレイル脇で座り込む人、寝転ぶ人が目立つようになってきた。

午前0時を過ぎて睡魔も襲ってくるようになる。ただ、胃の調子も回復していないため、これ以上カフェインを投入するのは胃にとってリスクがあるかもと思い、カフェインは自重する。
誰もがみな疲労が極限に来ていて、進んでは休むを繰り返すため、追い抜き追い抜かれが続く。
山伏峠から石割山分岐、石割山までが超絶長く感じる。

脚の持久力はまだ残っているが、ラスボスの杓子に残しておくため、ここで余計なペースアップはしたくない。ゆっくり進むぶん、睡魔が襲ってくる。少しナッツバーをかじってみるが、もう美味しく食べられないため気分的には逆効果だ。

後ろから来た速いランナーを次々とやり過ごし、もはや前後にランナーは見えない。闇夜の山道に自分一人が前進している。長く辛い上りが続く。つくづく上りが弱いと、じぶんに対して失望する。
睡魔に襲われているうちに、面白い現象が見えるようになってきた。

幻覚だ。
前の人が照らす斜面にコンクリートの建物の壁を見たり、足下の落ち葉や土の模様のなかに、瞬時に人や動物の顔が浮かび上がってくるのだ。目を移すとすぐにそれは現れる。その光景が興味深く、少しは気が紛れるようになる。そして、何度か上り下りをしていると、このコースは知っているし、なんなら昨日ここを走ったよな、と既視感を覚える。近くを同じペースで歩いているランナーに思わず「ここ通るじの2回目ですよね?」と言いたくなったが、それはやめておいた。この幻覚は夜が明けても続いた。

結局石割山の3km足らずの300mの上りに1時間20分もかかる。
下りになると先行者にどんどん追い付き、先に行かせてくれる。どうやら僕は同じレベルの人たちのなかでは、上りは遅く、下りは速いようである。
二十曲峠到着、2時47分。予定時間よりも54分遅れた。
思い返すと、この区間が今回のUTMFで最も苦しんだセクションだったが、それこそがテールエンダーの醍醐味だとも言える。自虐的に言えば。
テント下で少し椅子に座って休む。この間、寒さで水を飲む量が減っているため、お湯をもらって水を飲む。ずっとペースを守ってきたので、筋疲労はそれほどでもない。
次は事前情報では最も辛いと聞いていた杓子山だ。
これまでは最初のほうに上っていたためそんなにしんどいといった記憶がない。

二十曲を出てひたすら上り続ける。
いくぶん体力も戻ってきたように感じる。
相変わらずコースの既視感は強い。
たんたんと上っているうちに、近づいていた後方の選手が再び見えなくなることもあった。
杓子山まではずいぶんアップダウンを繰り返す。いつになったら上りの一辺倒になるのかと思う。
やがて三点支持や鎖で岩を上るセクションで後続との距離が一気に離れる。こういった岩場は僕は得意だが、僕のまわりのトレイルランナーは下りと同様苦手な人が多い。
杓子山までの山中にもスタッフが待機していて頭が下がる思い。あまりに着かないので、思わずいま上っている山は杓子山かと尋ねたら、そうではないとのこと。林道に出て右に折れて・・・のような話しを聞くが実際は林道などなく、唐突に杓子山山頂に着いた。たぶん聞き間違えたのだろう。山頂には有名な鐘があり、あたりりはまだ漆黒の闇だった。

山頂を後にして下り続ける。大腿四頭筋や膝に疲労感や痛みもなく、順調に下る。先行者に追い付き追い抜く。夜が明けてくる。野鳥のさえずりが清々しい。広い林道に出て、明るくなってきて緊張感が解けていく。誘導スタッフがエイドまであと6kmだと教えてくれる。そうしてのんびり下っていると、ふいに後ろから足音が猛スピードで迫ってきて、若者が「関門まで時間がありませんよ。結構飛ばさないと!」と教えてくれた。え?そうなのか。ふと時計を見るとあと1時間ある。ずっと下りなので余裕だと思ったが、じぶんの計算が間違っているのかもしれないと思い、僕もスピードを上げて走り出す。幸いいい調子で走れることがわかり安堵する。

山を下りてからもすぐにエイドには到着せず少し焦ったが、ほどなく富士吉田エイドの明見湖公園に6時45分に着く。スタッフの方に「5分前ですね」と確認すると「まだ15分ありますよ」と告げられる。そうか、インが6時50分とあるけどアウトの7時までに入ればよいのかと合点する。

体力も残っているし、ここまで来れば完走はほぼできそうではないかとこの時点で思ったが、それは大きな間違いであることを後で知った。椅子に腰掛けてこのレース中、はじめてコーラを飲む。
とそのとき、携帯にTコーチから電話が入る。
「いま、どこにいらっしゃいますか?」
「富士吉田エイドにいます」
ふと出口のほうを見るとコーチがそこにいた。
こんな早朝に駆けつけてくれたのだ。
いちどコーチの元に行き、現状報告をする。
ここでも「あとはキロ18分で行けます」と励まされる。

念のために救護に寄って、胃薬を所望するが、売り切れとのこと。
仕方なく用意をしてエイドをゆっくり出発。
関門閉鎖4分前にエイドを出る。
もう後には誰もいなかった。文字通りのテールエンド。
しかしまだまだ走れそうなので、ここから先行者に追い付くのは容易であることがわかっていた。
エイドを出てコーチと話しているところにライターのEさんがカメラを構えてやってきた。コーチの知り合いらしい。何枚か写真を撮ってくれる。
しばらくコーチが僕に併走して走ってくれ、いい感じだとプッシュされる。

町を抜けてラスボスの霜山の上りに取り付く。
約4kmで約640mの上り。この上りも「ここ昨夜に続いて2回目やな」と半信半疑になって既視感たっぷりに上り続ける。杓子までの疲労感や睡魔はもうなく、たんたんと一定ペースで歩き続ける。2〜3人くらい、復活した人に追い抜かれるが、もう追う必要はない。
小雨が降るなかついに山頂到着、41時間。あとは下るだけ。
杓子の下りで通ったトレイルかな、とまだ既視感を持ったまま下り続け、途中のスタッフに「これで上りは終わり。あとは下るだけ」と言われるが、また小さな上りが出てきてトレランレースあるあるに苦笑する。近くを走っていた若者は「え、まだ上りある・・・」とつぶやき、一気に戦意を喪失したようで脚を思わず止めていた。ついに舗装路に下りたと思ったら、またトレイルに入り、最後にちょこっと上ってから本当に最後に下って富士急ハイランドに続く道路に出た。

ついにゴール。待ちに待った100マイルのフィニッシュだ。
ところが道路に下りてもまだ2kmくらいはあった。人気のない道を迂回するように何度も曲がりながら走る。これが河口湖だったら沿道に人がたくさんいて完走を祝ってくれるのに、とふと思ったが贅沢は言えない。辛抱のいる道で、走るモチベーションも低くなり、先行者もずいぶん歩いている人が多くなる。もうここに来て先行者を追い抜くのも野暮だと思う。特に前に若い女性だとなおさら。
コニファーフォレストに入り、フィニッシュゲートに向かう前、前のランナーを抜かさないように止まって待ってみたが、フィニッシュラインで感動のゴールのためにさらに待たされて、ようやくじぶんの番が来てフィニッシュ。
フィニッシュしたら10年ぶりのマイラーである。どれだけ感動するのだろうと期待していたが、まったくそんな感情が湧かず。六花氏とグータッチして、公式のカメラにポーズをとって、静かに僕の100マイルは終わったのだった。まあ、そんな現実は、映画や漫画のようにはいかないということだ。

そしてゴール後、ライターのEさんが僕をみつけてくれて、しばしインタビュー(?)を受ける。仕事以外で取材をされることは無いので、ちょっと話しすぎた。『RUN+TRAIL』に載るらしい。

こうして長年の宿便が出たような、僕の10年ぶりの100マイルが完結した。
あらためて、この偉大なイベントを開催してくれた鏑木会長はじめ関係者の皆さまに敬意を表したい。
またこの完走は、TコーチのサポートとN整骨院のN先生なしにはあり得なかった。あらためて感謝したい。
そして、このチャレンジができる環境を与えてくれるスタッフに感謝。
最後に、長年僕のチャレンジを見守ってくれている家族に感謝したい。

次は夏のTDS®。いまの実力では完走は到底無理なため、さらに精進して結果を出したいと思う。

やっぱりウルトラトレイルレースは完走してなんぼだから。