RUN for UTMB®︎あるいは僕の、走ることについて語るときに僕の語ること。

2018年UTMB®リタイアからはじまる50代トレイルランナーの挑戦記。

2月16日(土)のんびり仕事レスト

 毎週土曜日は、レースや出張、休暇がない限り、基本的に仕事。朝7時から夜7時までは保育があるので、万が一のアクシデントに備えて待機する、という側面も小さくない。ウイークデーにできなかった仕事にがっつり取り組むときもあるが、今日はのんびり。ときどき園庭であそぶ子どもたちを見て、息抜きしながら。

 昨日久しぶりにロードを走った筋肉痛が大腿四頭筋に現れているので、夜練習も明日に備えて中止。家人と差し向かいでゆっくり夕食を食べて、風呂も入らずバタンキューした。

2月15日(金)ロード練習再開

 本日は、子どもたちの一年間の育ちの集大成をお披露目する『生活発表会』。

 われわれは、これまで生活発表会というタイトルを掲げてきたが、これまではお披露目するための演し物をわざわざ新たに企画して、日々練習して舞台で「演じる」ことでお茶を濁してきた。というか、幼稚園で開催される世の中の発表会は、ほとんどそのように作られている。演し物が演劇やオペレッタだったり、合奏や合唱だったり、リズム遊びや形態模写だったり、子どもたち一人ひとりの好むと好まざるとに関わらず、皆で「練習を積み重ねて」できることを素敵に華麗に演じるスタイルが「発表会」である。

 それを、今年ついに、ふだんの「生活(あそび)」を「発表」するスタイルに改革した。子どもたち一人ひとりが、一年間楽しんできたあそびを舞台上で披露する。ただそれだけの発表会。縄跳び、焚き火でクッキング、かくれんぼ、ファッションショー(変身)、ドッジボール、野球、サッカー、お笑いコント、新喜劇、LaQ、あやとり、カルタ…どうすれば舞台上で実現できるかもじぶんたちで考えて、客席をも巻き込む演出も加えて、先生といっしょに普段通りに再現した。
 見事に舞台上でリラックスしてあそぶ子どもたちを見て、65年かけてやっとここまで到達できたと感慨深いものがあった。スタッフたちの大きな達成であり、ふりかえりでは心から褒めた。

 夜は、先週の筋肉痛もとれたため、約4週間ぶりのロード練習10kmへ。気温は7度。少しは寒さもやわらいできた。
 恐る恐るスタートし、一歩一歩を慎重に出す。もちろん故障前のように走れるわけはないと承知している。走り出しはキロ6分くらいでも呼吸が乱れ、足もすぐに重たくなりスピードは途中キロ7’19まで落ち込んだ。予定通り10kmは完走できたが、平均心拍数は174bpm、1キロ平均6’34が精一杯。この調子では来週の45kmトレイルレースは完走は難しそうだ。でも悲観的なわけではない。だいたいこんなものだろうという調子の悪さだ。左踵は相変わらず痛みはあるが、やはり走っても支障はまったくない。

 ランニング後は店内工事が終わったCORONAへ。行かないと言っていた家人も合流したため、鴨のロティと雲丹のクリームパスタとイカスミリゾットまで食べることができ、大満足。

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2月14日(木)終日接客対応

 朝から夜まで来客対応の一日。

 午前中は、はじめてお会いする建築家のO氏と、クライアントの認定こども園のK氏。増改築を計画中で参考にしたいとご見学。2時間たっぷりと全施設をご案内して、参考になったと喜んでいただけた。

 午後は知り合いの認定こども園のY氏が給食について相談に来園。彼も初来園だったが、施設は厨房とカフェのみのご案内で、自園での給食の取り組み方を管理栄養士とともに解説する。ふだん飲むことの無いアイリッシュウイスキーをお土産にいただく。感謝。

 夕刻より研究会仲間のK氏から園内研修のご相談。園内の人間関係について話を聴き、有効な園内研修について検討する。2時間以上話を聴いて、概ねこんなことをやろうという内容を、なんとなく決める。チームづくりは一回の園内研修でなんとかなるわけではないことはK氏もご承知。それでも一石を投じてもらうだけでも良いと。4月からの新チームの関係性が、少しでも良い方向へ動き出せるようなお手伝いをしなければ。

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2月13日(水)養成講座Ⅲ

 今年度のコーディネーター養成講座の最終セッションで東京へ。

 ネルシャツ、バルーンウールのジャケットにダウンコートのレイヤードは、明らかにオーバー装備だった。ふだん暖房の効かない環境で仕事をしているため、たまに出かける都会は本当に暑い。それでも会う人から「東京は寒いですね」と同意を求められると「そうですね」と笑顔で返す。そんなところで「いや都会は暑いです」と感じたままに答えても、相手が困るだけだ。僕だって困る。

 ところが、最近は「いえ僕は都会は暑いと思いますね」と答える人がいて、僕は「あ、そうですか」と答えるしか返しようがないときがある。そういう人たちに、それはちょっと違うのではないか、と言おうものなら「正直に答えて何が悪い?」「感じたまま答えたらあかんの?」と逆に疑問を提示されて、徒労感が募る。大人のコミュニケーションというものが通用しない大人が増えているように思うのだが、どうだろう。

 今日のじぶんの責任分担は午前中の1時間半のみ。いつもより短い時間なので、常に時間をチェックしながらの進行だったが、想定した進行通りに終えられた。参加者も満足したようだったので、役目を果たせてよかった。

 17時市ヶ谷終了で、19時発。「紺屋高尾」と「たらちね」に癒やされる。

2月12日(火)黄洟は完治。

 どうやら昨日で黄洟は治まったようだ。残るは咳と痰。それも、頻繁に出るわけではないが、吸入薬と漢方はまだ飲み続ける必要があるだろう。

 今日は午後から他園の質向上のお手伝い。午前中は準備。

 連休の筋肉痛がふくらはぎと臀部に残っているので、仕事がなくとも休んだほうがいい日だ。焦ってもいいことはない。

ランニングは僕にとって何を意味するのか。

 とあるサイトで世界のトップアスリートたちに投げられた質問ーーーランニングはあなたにとって何を意味しますかーーーを興味深く読んだ。

 僕にとってランニングは何を意味するのか。

 この問いは、すでに何年か前に僕は自問自答していた。

 そのとき僕は「僕にとってランニングは、じぶんがじぶんであることを正しく証明できる唯一の手段であり、じぶんが行うすべての行為のなかで、唯一じぶん自身が「正しい行い」ができている、と認めることができる行為である」と答えた(加筆修正あり)。

 この思いは、いまの職業に就いて確かになった。例えば僕はレースで園を年間数日休むことになる。もしその数日が、パチンコをするためだったらどう思われるだろう。カジノに通うためだったらどうだろう。人びとは好意的に受け取ってくれるだろうか。

 多くの人は、誰しも走った経験があり、それがどのくらい肉体的苦痛を伴うものか、精神的しんどさを味わう事かを知っている。だからこそ、じぶんの身体を好き好んで痛めつける人に対して「じぶんには理解できないけど、なんだか凄い」と好意的に受け取ってもらえるのではないだろうか。つまり、走ることは、走らない人から見ると、ずいぶん控えめに見積もったとしても、パチンコをする人よりも肯定的に受け入れられるのではないか、と思うのだ。走る習慣の無い人からすると、100kmや170km(しかも山の中を)を走る行為は、馬鹿げた行為であると同時に想像を絶する行為である。そんな苦しい、面白くなさそうなことに心身を削って没頭するのは、まあ変なことではあるが、眉をしかめるようなことでなく、むしろある種の賞賛をもって受け入れられるように、僕には思える。だから僕は「あなたにとってランニングは何を意味するのか」と、問われたときに、前述のように答えるに至ったのだ。

 なぜ、あなたは走るのか。あるいは、走ることの何が面白いのか。しばしば僕が、僕をよく知る周りの人から尋ねられる質問だ。確かに。(まったく走らない)他者の視点に立ってみれば、なるほど、もっともな問いである。

 なぜ僕は、真夜中の山の中を孤独や不安、寒さや痛みを感じながら走る(歩く)のか。何度も何度もリタイアの苦しみを味わいながら、またスタートラインに立つのか。

 ときどき、ランナーたちからこんな声を聞くことがある。

 「苦しんで走っているとき、何でじぶんは、こんな(馬鹿げた)ことをしているのだろう。もうこんなしんどいことは止めにしよう」と言った類いの話だ。

 僕は、何度も似たような状況にあったが、こういう心境になったことはない。なぜなら、僕自身、前述したように「何でこんな馬鹿げたことをしているのかは答えが明白すぎる」からだ。じぶんがじぶんである、と認められる唯一の行為。子どもの頃から走ることが好きで得意で、走ることによってじぶんはじぶんを肯定してきた。走ることは、僕にとって、僕が僕であるためのすべてである。走っているときこそが、どんな体調や状況であれ、それはじぶん自身が最もじぶんらしくあれるときであり、心から楽しいと思える行為なのだ。

 さらに言えば、自然のなかは、じぶんにとって最も心地よくいられる場所である。それは海と山に挟まれた狭い土地に生まれ育ち、海や山で遊ぶことによって、何か机上では学べないこと、体験できない感覚を得てきた実感があるからだと思う。

 走ることと自然のなかにいること。その二つを同時に実現できる手段が、トレイルランニングである。もうひとつ付け加えるなら、幼児期から、人と競走することが好きだった。もちろん、競走すると一番になる、というギフトがじぶんに届けられるからだ。逆に言えば、競走以外に自尊感情を満足させる場面がなかったとも言える。走ること、自然のなかにいること、競走すること。この三つが組み合わさったトレイルランニングレースは、じぶんにとってじぶんであることを証明する手段であり、じぶんが最も心地よくいられる「場」なのだ。

 少なくとも、いま、じぶんがこうしてトレイルランニングレースに参加することは、じぶんの人生にとってプラスの影響を与えていると確信している。もしいまのこの確信が薄れるようなことがあったら、僕は走ることを止めるのかもしれない。いまは、そんなじぶんをまったく想像できないが。

 

 

2月11日(月祝)夫婦で雪中ハイク

 毎年ある、というわけではないが、今日は「夫婦でハイク」の日。
昔「夫婦でワイン」というコピーがあったが、それはわが家の場合毎晩に近い日常のことなので、わが家では取り立ててのコピーにはならない。でも、夫婦でハイクあるいは家族でハイク、は意外と少ないのだ。ほんとに、意外と。

 そんなわれわれにとって2月の週末は、図らずも「いい夫婦の日」になることが多い。なんでだろう。割とこの時期仕事もゆるやかで、僕自身はレースも無いからなのかな。まだシーズンが始まったばかりで余裕があるからかもしれない。

 昨年は、ふたりが大好きな、故小津安二郎監督を偲ぶ旅に尾道を訪ねた(小津監督が泊まった部屋に泊まり、原節子が泊まった部屋で朝食をいただいた)。一昨年はドカ雪が「降ったから」わざわざ(皆が行かない)三朝温泉に行った。

 で、今年は僕の病み上がり(正式には途上だが)を祝して六甲山を歩くことにした。昨日は好天のなか、単独で塩屋から新神戸をコンプリート。で、今朝起きると、なんと外は雪。市街は積もる気配はないが、山を仰ぎ見ると、みるみる白く染まっていく。

 さて、どうするか。

 とりあえず朝食をゆっくり食べて考えることにする。

 決定権は、この場合もちろん弱者(家人)にある。昨日も書いたが、彼女は数十年前はアマチュアトップのトライアスリートだったが、数年前の東京マラソンで膝を壊して、いまはまったく走ることを休止しているばかりか、運動といえるすべての事を回避した生活を送っている。膝に負担のかからない水泳と、年に二度か三度の山歩きが関の山である。積雪ハイクは過去にしたことはあるが、果たして今日がその日であるかどうかは本人の体調と気分次第である。

 朝食を終えて、なお思案する。娘お花のリクエストで今日中にケーキを焼いて送る、というミッションも家人はこなさなければならないらしい。となると、疲れすぎてもいけないし、午後4時には帰宅しておかなければならないという。

 僕が想定しているルートなら、ゆっくり歩いても午後4時には確実に帰ることは可能。最悪途中で体調が悪くなれば引き返せばいい。そう見通しを話すと、ようやく意を決したように「行く」となった。

 目指すルートは、新神戸〜布引の滝〜市ケ原〜摩耶山摩耶山からはロープウエイとケーブルカーで麓に降りて電車で帰る、という計画だ。ゆっくり歩いても、昼頃には山頂に着く。市ヶ原から摩耶山までは距離はたいしたことはないが、上りごたえがあるので、山頂のカフェでランチをして帰れば十分満足感はあるだろう。そうと決まれば準備を整えて出発だ。午前9時過ぎにホテルをチェックアウトして山を目指した。

 僕自身も昨日の疲労が脚に出ていて、ゆっくり歩くことに異存はない。なにしろ病み上がり(途上)でいきなり2日続けての歩荷ハイクである。無理して後戻りするのは、あってはならない。

 歩き始めは雪が止んでいた。このまま今日はもう降らないのだろうか。そう思いながら最初の長い階段をゆっくり上り、布引の滝に着く。昨日にも増して水量が少ない。滝の上流は凍っているのかもしれない。貯水池に着く頃には雪がちらほら舞ってきた。市ヶ原でトイレ休憩をして、いよいよ摩耶山までの上りに取り付く。裏六甲への分岐を右に折れ、本格的な上りに入る。しばらく歩くとトレイルの両側や木々の葉に、積もる雪が見られるようになってきた。さらに高度を上げる。ふたりとも足の運びに不安はない。ひとつめのピークに差し掛かる頃から、だんだん積雪が増えてきた。尾根の向こうに見える向かい側の山の木々も、いつの間にか白く染まっていた。ふたつ目のピークを目指す頃には、トレイルはすっかり雪景色となった。降り始めから続く雪が足元の道を覆うようになってきた。降ったばかりの雪は、ふわふわと軽く、シューズを濡らすことも少ない。六甲山系で、さくさくと新雪を踏みしめて歩ける日なんて、ひと冬にそうあるものではない。今日は、非常にラッキーな日であることを実感する。踏み跡を見れば、先行者は何人かいることがわかるが、先行者が歩いた跡に降り積もる新雪でトレイルは新たな雪道をつくってくれ、まるでわれわれが初めて足跡を残すかのような気分にもなれて気持ちがさらに昂ぶる。

 アップダウンを繰り返し、曲がり道を回るたびに新しい景色に出合い、そのたびに写真に収めたくなり立ち止まる。風もなく、雪は空からまっすぐに降りてくる。何度か着ているレイアリングを変えて温度調節も行い、いまは雪景色のなか快適に歩くことができている。なかなかこんな状況では歩けないことに感謝して歩く。

 最後のゴロゴロ坂を上る。家人はさすがに疲れがでてきたようだが、それでも歩くことの楽しさは満喫できているようだった。最後の階段を上ると、そこは一面雪の絨毯が敷き詰められていた。麓からたった6km、3時間弱でこれほどまでの感動を味わえるなんて、本当に贅沢でありがたいことである。

 摩耶山・掬星台も一面見事な雪野原。お腹もいい具合にすいてきて、目指してきたロープウエイ2階にあるカフェでカレーライスをいただくことにする。心地よい疲労感がじんわりと癒やされていく。このご褒美があるから、山歩きが一層魅力を増す。これこそが六甲山が六甲山として、「おらが山」として、市民に愛され続ける所以である。歩いた人にだけわかる、この充実感。たまたま、そんな日に巡り会えたことに感謝。どん底からの練習再開は、どうやら神様から祝福されているように思えた。


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