RUN for UTMB®︎あるいは僕の、走ることについて語るときに僕の語ること。

2018年UTMB®リタイアからはじまる50代トレイルランナーの挑戦記。

2月10日(日)3週間ぶりに練習再開

 2/10-11は2連休。香港以来実に3週間ぶりの「運動」として、西六甲縦走路を「歩く」ことにした。思えばウルトラトレイルレースでは、ほぼ上りでは歩き通しているので、歩くことをもっと練習すればいいのではないか、と仮説を立ててみた。リタイアする寸前の歩きは、歩くことさえもままならない状態がつづく。普通にアベレージで歩き通すことさえできれば、平均速度でいえばUTMB®も完走は可能なはずなのだ。

 歩き続ける筋持久力の強化。中途半端にトレイルを走るよりも、今年はバックパックを大きく重くして、長時間歩き続ける練習を続けてみようと思う。

 先日トレーナーのN氏から最大心拍数はいくらかと聞かれて「190は超える。下も60は下がらない」と答えると「それってウルトラレースに向いてないってことですよね?」と指摘された。もちろんその身体的特徴は自覚していたので「たぶんフルマラソンからアイアンマンくらいがちょうどいいのかも」「でも好きなんだから仕方ない」と自嘲するしかなかった。子どもの頃から短距離から長距離までそこそこ走れた。野球部では塁間はいちばん速かったし、冬場の長距離走も先頭を引っ張った。子どもの頃からずっと走ることは得意で、30代半ばできっぱり走ることを止める時点までは、フルマラソンくらいの距離はまあまあ走れていたのだ(アイアンマントライアスロンのランのベストは3:35、フルマラソンのベストは2:50、六甲山全山縦走は5:15、サブスリーは32歳が最後)。
 でも、強いウルトラランナーたちからよく聞くのは「子どもの頃は走るのは遅かった(好きではなかった)」「大人になってから走り始めた」という言説。かくいう家人も「子どもの頃は脚が遅かった」のに、アイアンマントライアスロンではアマチュアトップだった。

 そんな数々の事実を思い知らされるにつれて、どうひいき目に見てもじぶんは超長距離は「向いていない」という現実を受け入れるしかないように思えてきた。でも、好きなんだから仕方ない。大人になってから向いていないことを好きになるのは、なかなか興味深い体験である。おかげで、若い頃には味わえなかった挫折や無力感を痛いほど味わえている。

 で、本日の新しい練習の最初のルートは、六甲全山縦走の西の端である塩屋をスタートして、ほぼ中間点の新神戸までの西六甲縦走。もちろん、ただ歩くのでは練習にならないので、新神戸で家人と合流して一泊することにして、バックパックには防寒着や食料やJetBoilなどの「必須装備」に加えて、必要以上の水や着替え、使うかどうかわからないMacBookなどで荷物を重くすることにした。約13kgくらいをPatagoniaの30リットルにパッキング。ふだん背負うのは重くても4kgくらいなので、結構重く感じる。最初の試みなのでこのくらいが適当だという重さだ。

 朝から快晴だが、寒波のせいで気温は下がっている。9時すぎに家を出ると、町は正月のように静まり返り、クルマの往来も少ない。寒さのあまりか。快速に乗って西へ。車内もガラガラ。須磨で普通に乗り換えて塩屋へは10時を少し回ったところで着いた。

 SUUNTO9をセットして歩き出す。住宅街から山へ入る最初の階段から息は上がらないがハムストリングス疲労が溜まる。須磨浦山上公園、旗振山、鉄拐山、横尾山、須磨アルプスを経て妙法寺までバックパックの重さは気になるものの脚は余裕がある。左の鼻からは、まだ頻繁に黄洟が出て、手鼻をかまなければならないことがやっかいだ。

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 妙法寺のローソンに立ち寄り、カップ麵、スニッカーズ、インスタントのミルクティとドリップバッグのコーヒーを購入。高取山にはいつもより1時間50分も遅く到着。高取神社を参拝してお花の合格祈願守りを買うと、ちょうど初午祭で甘酒のふるまいがあるという。せっかくなのでありがたくいただく。ショウガが利いていておいしかった。 高取山からの下りでちょうど時間もいいので、丸山町を見渡す最後の広場で持参した菓子パンを食べることにする。JetBoilで湯を沸かし、ローソンで買ったミルクティーを飲む。味は香港ミルクティーには及ばないが温かさが腹に染みる。

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 鵯越をすぎ菊水山に差し掛かる頃にはハイカーもすっかり少なくなる。菊水山頂上は、いつもの2時間遅れ。天王吊り橋の手前の池に、マガモのつがいが2組いた。本当に寒いときは凍っているが、今日はまったく凍っていない。

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 あとの上りは鍋蓋山だけ。ペースを維持してゆっくり上る。昨年から鍋蓋山界隈は間伐が始まり、トレイルは明るくなって、今までまったくなかった海側の眺望も開けるようになった。あと一年くらい手入れはされるようだ。少なくとも30年は手入れをされてこなかった森。以前とは比べものにならないほど歩くことが楽しくなる。大竜寺をすぎ市ヶ原まで、トレイルの案内標識も新しく付け替えられている。時刻は午後5時。新神戸までは小一時間で着く。どうやらヘッデンは使わずに済みそうだ。

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 布引貯水池はずいぶん水かさが減っていた。布引の滝(おんたき)は、水量がちょうど布を引くような流れをつくる量で、夏のごうごうと落ちる滝よりも品がある。

 

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 塩屋から7時間23分、25km。明るいうちに新神戸駅に着いた。ウルトラトレイルのための初めての歩荷練習は、よい手応えを感じて終えることができた。この練習、しばらく続けようと思う。それにしても左鼻からは、まだ黄洟が出る。やれやれ。

 

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1月24日(木)〜2月9日(金)失われた3週間。

 香港後は、近年ないほど体調を崩した。風邪をひいた状態でウルトラトレイルを走ったツケは半端なく大きかった。他人からみると当たり前だとあきれられるが、じぶんの事になると、なんでも実際にやってみないと信じられない性分なので仕方ない。

 症状としては、とにかく咳がひどく、黄洟がおさまらず、熱が上がったり下がったりを繰り返す。かかりつけの耳鼻咽喉科を受診し薬をもらうが、いっこうに治らない。

 仕事はその間、新潟出張を皮切りに、新入園児保護者説明会、新入園児保護者講演会、市の指導監査、小学校引き継ぎ、見学2件、そして、ねらいづくりMTGが毎日のように入り、なんとかこなす。1/31のリーダーMTGだけはパスさせてもらった。2/5(火)からは3晩寝汗がひどく(最も多い日は、ひと晩で4回寝間着を替えた)、体重はこれまで見たことも無い58kg台にまで落ちた。治りかけのときには寝汗をかくと言うが、そうであってほしい。もういい加減。

 2/8(金)にようやく時間がとれたので、かかりつけの総合病院の内科医Sドクターに診てもらう。診たところ症状はもう峠を越えているらしく「もっと早く来てくれたらよかったのに」と苦笑される。来たいのはやまやまだが、1回の診察に2時間はみておかないといけないので、そうそう簡単には時間がとれなかったのだ。血液検査の結果は、ほぼ悪い数値はない。いつもは3桁、レース後は4桁になるCPKが2桁だったのが一番の変化。この3週間、まったく運動ができず、筋肉が落ちまくっている証拠である。気管支炎になっていたのだろうと、吸入薬と漢方薬抗生物質を処方される。これまで効き目のなかった薬から、新たな処方が出されるだけで、精神的に「これで治る」と救われた気持ちになる。来週、改善が見られなければ再来週頭に再診に来てと告げられる。ほんとうに、もっと早く来ておけばよかった。今後は、体調不良が起きたらすぐにSドクターに診てもらおう。

 こうして9月から積み重ねてきたトレーニング成果も3週間で一気に崩れた。次は2週間後2/23(土)の善通寺60K。Sドクター曰く「(走れる準備ができる)ぎりぎりですね」と。「3周回なので、行けるところまでで止めます。レースですが練習としての参戦なので」と、一応常識的な応えをしておく。なんとかビリ完走を目指して、2週間で6割くらいまでは戻したい。

 そして、この故障中に、僕は55歳になった。

1月23日(水)帰国

 昨晩も咳がひどく出た。

 5時半に予約したタクシーを待つ。ホテルの係員に空港までは200ドル以上300ドル以下と教えられる。カードは使えるかと聞くと使えないという。僕らは現金が無いと言うと現金しか使えないの一点張り。現金は無いとさらに詰め寄ると、近くに銀行ATMがあるからそこへ行けという。なんだ、最初からそう言ってくれよ、と思う。

 香港空港でさらにお土産を買い、朝食を食べる。搭乗階で朝食を食べられる店を探して麵を食べる。ここがいまいちだった。そのあとWi-Fiルーターを返しに行くと、1階のレストランも営業していた。到着した日に列をなしていた小籠包の店もガラガラだったので、惜しいことをした。

 定刻通り飛行機は離陸し、羽田へ。お花とは東京で別れるために、一緒に羽田から東京駅まで帰る。楽しかった5日間も無事終わり。僕は山手線を東京駅で降り、お花はそのまま池袋まで。手を振って別れた。これで次会うのは春休みとなる。

 僕は新幹線に乗り換えて家路につく。

 帰宅後、咳がだんだんひどくなる。身体の疲労感も徐々に増してきた。夕食は久しぶりに寿司を食べに出かけ、早めに寝た。

1月22日(火)父娘香港観光

 今日はレースにつきあってくれた娘お花にお礼を兼ねた香港観光。なのだが、ふたりとも昨夜の咳込みはひどかった。お花は喘息持ちなので本人は朝も何食わぬ顔で起きてくるのが幸い。いっぽう僕は、明らかにレースのダメージで激しい咳が治まらず、ゆっくりと眠れなかった。

 朝食はホテルから歩いて数分の場所にある地元のディープな朝粥専門店で食べることにした。お花が昨日ツアーのK氏にごちそうになって美味しかったという。英語のメニューをもらって十数種類のなかから選ぶ。僕はレバーの粥、お花は肉団子の粥にする。サイドメニューのカブトムシのさなぎのような姿をした揚げパンも頼むのが作法だとお花に教えられ、それも頼む。店内は、子どもの頃に通っていたたこ焼き屋に似ている。スチールの脚のついたメラミン天板のテーブルにビニールの座面のスツール。懐かしい気分になる。同じテーブルの父娘(5,6歳)をふと見ると父はHK100のフィニッシャーだった。あとから僕らと同じツアーの女性選手たちもやってきて、メニューの見方を伝授。その後K氏とI氏もやってきて賑やかになる。

 出てきた粥は日本の粥とはまったく異なり、どろどろの糊状。熱々の粥をふうふう言いながら口に運ぶと、鶏ガラ出汁の香りがほのかに香り、味もあっさりとしていて食が進む。42ドルなのでそれほど安くはないが、量も多いし大満足。毎日食べても飽きないと思える。

 

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 食べ終わってからは女性選手たちと高級スーパーへお土産を買いに。ホテルに戻ってツアーの皆さんを見送り、僕らはK氏の案内で今夜泊まる中心街のホテルに路線バスに乗って移動した。ホテルにチェックインし、K氏にお礼を言って別れる。

 昼食は「香港に来たら食べるべき」と言われているワンタン麺でミシュラン一つ星をとっている店へを目指す。地下鉄でお店のある金融中心街へ行くと、そこは東京のように各国のビジネスマンと若者や観光客が入り乱れる現代的なビル街だった。ブランドショップがテナントで入っており、日本の街となんら変わりのない洗練されたビルのなかの一角に、目指すお店はあった。注文したのは僕はワンタン麺、お花はワンタン、そしてゆで野菜、醤油焼きそば。ワンタン麺は海老の出汁がゴージャスに香る、食べたことのない味。醤油焼きそばは魚醤などいろんな味が複雑にからまっていて、これも日本では食べたことのない味。どれもおいしかった。

 次はお花の目指すジオラマショップ。香港の町を再現したジオラマが秀逸。お花の目当ては、そこのステッカーやカードだったが、僕はジオラマやミニカーのほうが断然気に入った。20時から始まるシンフォニー・オブ・ライツまで時間があったので、一旦ホテルに帰ることにする。道すがらみつけた行列の先を覗くとベビーカステラのようなワッフルを店頭で作って販売していた。お花は珍しく並んで買うという。どんどん焼けるので、すぐに番がまわってくる。23ドル。空洞のベビーカステラがつながっている形で味は甘さ控えめでどんどん食べられる。これもおいしい。さらにお花は、ホテルの近くの手作りドリンクスタンドで、目当てのタロイモドリンクを飲んでご満悦。ふだんはあんまり買い食いしない娘なのに、珍しくよく食べた。まあそうでなくちゃ、こちらもせいがないというものだ。

  シンフォニー・オブ・ライツを海上から見る観覧船に乗るために1時間前にチケット売り場に着いたが、すでに売り切れ。しかたなく対岸の広場から観ることにした。大勢の見物客がいたが、ほぼ正面から光のショーを見物できた。音楽がまったく聞こえなかったのが残念だったが、まあ無料だしあきらめはつく。話のネタとしては不足はない。

 晩飯は近くの評判のいい中華レストランへ。小籠包を食べようと思っていたのだが、夜はメニューが変わるようで、ちょっと気取ったメニューばかりでがっかり。でも醤油味の焼き飯があり、これまた日本では食べたことのない味でおいしかった。僕は中華街のある神戸の生まれ育ちなので、子どもの頃から中華料理や台湾料理には親しんできたつもりだったが、今回香港で食べた味はどれもこれまで体験したことのないものでとても気に入った。やっぱり本場は味付けが違うのだと実感。美食の街として名高い香港を少しは体験できてよかった。

 明朝は帰国。はじめての香港は、リタイアしたこと以外はすべて順調に楽しむことができた、と思っていたのだが・・・。

 

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1月21日(月)リタイア後から打ち上げ

 リタイアした選手十数名を乗せた古くてうるさく、ガタガタとよく跳ねるマイクロバスが猛スピードで山を下る。

 こんなときによく起きるのが車内でのリバース。案の定一人が始めた。もちろん運転手はお構いなしだ。リタイア後にさらにこうなるのは、本当に心が折れるだろう。毎回気の毒に思う。幸い僕は車酔いはまったくしないので、どれだけ疲労困憊してもこの惨事だけは避けられるのだ。

 30分ほどで町のバスターミナルに着き、全員が降ろされた。しかし、選手たちの多くがフィニッシュ地点に荷物を取りに行かねばならず、ここからその交通手段がわからない。時刻は6時前。皆が途方に暮れていて、僕もここがどこかもわからない。ツアーのK氏にリタイアしたと電話を入れて、帰る手段を尋ねる。しかし前例もないため、とにかく「ツェーンワン」まで行けばよいとだけ告げられる。でも、そこまではどう行けばいいのだ?

 僕は大会HPで「Tsuen Wan」を確認して、Google mapsでここからの経路を求めた。すると地下鉄を乗り継いで1時間ほどということがわかった。現金もクレジットカードもオクトパスカードもあるので、そうとわかれば安心だ。汚れたレースウエアのまま「彩虹」という駅から地下鉄に乗って「太子(Prince Edward)」で乗り換えてTsuen Wanに着いた。そこは終点の駅だった。大会シャトルバスを探したが分からず、結局タクシーに乗ってフィニッシュ地点へ。20ドルくらい。山腹にあるのどかな公園に控えめなフィニッシュゲートが作られていた。

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 フィニッシュした選手たちに紛れてドロップバッグを受け取り、シャトルバスで駅まで戻る。再び地下鉄を乗り継ぐのはしんどいのでタクシーでホテルまで帰る。香港の的士(タクシー)は町のシンボル的存在で、運転手たちもどこかユニークなキャラが多い。そして、たいていがスピード好きである。内装も破れたり古びているが、古いモデルのクラウンがなんともいい。日本の最新型のクラウンよりもずっと車として乗っていて楽しい。

 部屋に帰るとお花は起きていた。礼を言って、とにかくシャワーで汚れを落とし、暖をとる。筋肉痛が大腿四頭筋にあるが、特別傷めた部分はない。残りもののメロンを食べてベッドで休む。心の底からホッとできる瞬間だ。

 昼過ぎに起きる。食欲は無いが、お土産を買いにスーパーに出かけた。せめて何か食べようとりんごを求めた。午後もお花は部屋にいるというので、夕方からの打ち上げパーティまで僕も部屋で休む。

 夜は近くの中華レストランでツアーの皆さんと打ち上げ。互いの健闘を讃え合う。たまたま同じテーブルについた人たちが50代が多く、話が弾む。お花はレース中K氏とともにサポートをしていたため、なんと、ツアー会社のスタッフだと思われていたようだ。そんなに歳上に見えるのだと驚く。

 食事後は「TofuBacks」で「豆腐花」を初。杏仁豆腐かと思ったがそうではない。なめらかな豆腐にさまざまなシロップをかけて食べる。いまは冬なので豆腐は温かい。僕はココナッツミルク味、お花は小豆味を食べる。どちらもクセになる味。美味しい。日本で食べられるところはないのかな。(写真だとなんだかわからないな)

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 宿に帰り荷物を整えて就寝。明日はツアーの皆さんは帰国日。僕らはもう一日観光で滞在する。今回家族が帯同していたのは僕らだけだった。ほんとにレースにだけ出る日程って、もったいないなあと思うけど皆さんいろいろ事情があるんでしょうね。日本人は働き過ぎだ。

 

1月20日(日)VibramHK100②レース

 スタートゲートをくぐり、ゆっくりと走り出す。沿道のお花に「行ってきます」と告げて、いよいよじぶんのレースが始まった。

 最初のエイドステーションまでは12km、ほぼ平坦と言えるプロフィール。舗装路から花崗岩の固い地面のアップダウンの少ないシングルトラックのトレイルに入る。前後の選手もマイペース維持の人が多くペースを乱すこと無く走ることができる。楽な走りなので風邪の影響はそれほど無いように感じるが、心拍数をみると普段より20は高い。やはり体調はごまかせないようだ。

 最初のチェックポイント(SP/12km)は1時間46分(8:42/km)。2時間が予定だったが、無理したわけではない。流に沿って楽なペースで走った結果だ。このままのペースを維持できれば十分というタイム。むしろこれ以上上げる気はない。天気も徐々によくなってきて、いつのまにか晴天になり気温もどんどん上がってきた。

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 SPを出て、ここからは山を登り砂浜の海岸に下りるというインターバルを4度繰り返す。なんだか同じところを走っているような感覚になるが風景がよいので気分よく走れている。途中多くの散策中の一般の若者たちやワンゲル少年たちに出会ったが、ナンバーカードを見て僕が日本人だとわかると「ガンバッテ」「ガンバッテクダサイ!」と応援してくれる。「ありがとう!」とこちらも日本語で返す。翻って、いま多くの中国人ランナーがUTMFなどに来ているが、僕らは彼らに「加油(ガヤョウ)」と声をかけていないような気がする。今年UTMFで必ず出会うので、同じ選手同士だが、声をかけようと思った。(ちょっと調べると香港は「ガヤョウ」だが、中国広東は「ジャョウ」っだそう。難しいな。香港の人と中国の人を分けないといけないのだな)
 気温が高く暑いが調子は良い。CP1(22km)に到着。4時間7分。予定より3分速い。ここまでジェルを1時間に1本摂取し、ボトルの水は1.5リットル摂取。海の家で選手たちがコーラを買っていた(エイドにコーラは置いていない)ので僕も思わず買って飲む。8ドル(120円くらい)。あとクラッカーをつまむ。

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 CP1を出て、やがて今年から追加されたという「牛耳石山」の上りに差し掛かる。ペースを維持しながら抑えて登る。それでも20人くらいはパスする。下山するころには前後に選手が見えなくなるくらい間が空いたので、ボリュームゾーンからかなり遅れていることがわかる。

 

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 CP2(34km)に6時間41分(14:48/km)。予定より1分遅いだけで、ここまでも予定通り。いいペースで来ている。ただ、フルーツやコーラを補給したかったが、エイドには水とスポーツドリンクしかなかった。しかたなく水を補給する。ジャムサンドを食べるが、パサパサしていて美味く感じられずエイドを発つ。

 CP3までは9kmでアップダウンも少ない。しかし気温がどんどん上がり、温度計を見ると25度。発汗量も多くなってきて、洟をかむと黄色の固形が混じる。足取りも少し重たくなってきた。区間1時間30分を予定していたが、1時間55分もかかってしまった。ここまで持参したVO2MAXBARは一本食べたが、このエイドではパスタをいただく。しかし、胃の調子も落ちてきている兆候がある。あまり食欲がすすまない。次のエイドまでは9km。この区間もアップダウンは少なく予定所要タイムは1時間半。徐々に夕暮れが近づき、気温が下がってきた。スピードも落ちてきているのでレインジャケットを着てエイドを出る。疲労感も募ってきた。

 CP4までの海岸線の単調な舗装された散歩道は、予想外に僕の体力を奪っていった。香港の選手は、真っ暗になってもヘッデンを点けない。夜目が利くのだろうか。レース後他の日本人選手と話していてもそれは感じたそうだから、僕のまわりの選手だけのことではなく香港ランナーの特徴なのかもしれない。徐々に小雨も降ってきて、気温がさらに下がる。CP4着10時間58分。予定より1時間20分遅れ。2時間21分もかかってしまった。かなり体力を消耗していることに気づいた。これはまずい。暖かいものでも腹に入れないとと思うが、食欲が無い。無理に押し込もうとすると吐き気を催す。しばらくスツールに腰掛けて休憩する。選手はまだたくさんエイドにいる。関門時間までは、まだ余裕はあるはずだが、寒さで長くとどまれないことに気づき、CP4を後にする。いよいよ次はサポートが待ってくれているCP5。何分くらい貯金を持って入れるか。

 

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 CP5までは距離は6kmで累積標高差は476m。数字だけを見ると全然たいしたことはないが、この疲労感と寒さではさらにダメージが拡大するのは明らか。とにかく無理せず歩く。歩きながら体力の回復を待つしかない。

 CP5に13時間23分で到着。関門閉鎖まであと1時間と少し。K氏とお花に迎えられる。すぐに横になりたいと尋ねるが、このエイドにそういうスペースは無いようだ。空いた芝生の斜面に寝転べると教えられてすぐに寝転ぶ。胃の具合が落ち着いて食欲が戻ってさえくれたら、なんとか復活できると思うのだ。そのためには休むしかない。あとどのくらい寝られるとお花に聞けば、30分くらいという。とにかく横になる。しかし寒い。寒いのに、思考が働いていないのでブランケットを取り出すことも思いつかない。K氏から「おかゆ食べられないですか?」と聞かれ「食べたほうがいいですよね、いただきます」と、コッフェルにおかゆをいただく。お茶漬け味のおかゆはおいしくいただけた。

 リタイアするならCP5で。CP6までは最も長い13km。町から遠いので回収しにくいと事前に聞かされていたが、まだ動けるのでダメ元でもCP6は目指したい。いまの体調のままでは、到底関門時間にたどり着けないと思うが、余力を残してリタイアしたくないというのが本音だ。もちろん最悪な状況になってはいけない。特にこの区間は山深く、途中で動けなくなると命に関わる。それでも過去の経験から、いまの状態なら行けると判断して、苦しいのは覚悟して関門閉鎖5分前にじぶんを鼓舞してエイドアウト。午後10時25分。ここから予定では4時間30分だったが、復調がない限り次で関門アウトは間違い無い。最後まで諦めずに前を目指そう。

 3つの山を登り880m獲得するこのセクションはいまの体調にはやはりこたえた。胃が締め付けられて、何度も嘔吐が襲ってくる。胃には何も入っていないので、何も出てこない。ここまで酷いのは久しぶりだ。2015年の上州武尊山以来か。特に下りは胃にダメージを与えないように静かに足を下ろす。はるか後方に小さなヘッデンの明かりを見せていたランナーがやがて後ろから近づいてきて抜かれるということを何度も繰り返す。もはや上りの足取りは、足腰の弱い高齢者の歩みである。でも、しんどいとか辛いとかはは感情レベルでは不思議とじぶんのなかでは起こらない。

 じぶんの身体と心は異なる人格を持っていて、身体は「もうやめろ、ちょっと寝転ばせてくれ」とさっきから何度も懇願するのだが、心は「いやまあ、まだだろ。もう少しがまんしろよ」となだめている。広い稜線に出る。心が「ほら見ろ。夜景がこんなにきれいだぜ。こんなシチュエーションって、普通じゃ味わえないぜ、写真に撮れよ」と言うのに、身体が「あほ言うな。iPhone出す力があったら足を動かすわ」と言い返し、心が「ちぇっ、もったない。ああ、それにしても夜風が気持ちいいではないか相棒よ」と答える。ついにベンチがある広場に出て、身体が「もうだめだ、ここでしばらく休む」と倒れ込む。それでも心は「しかたないな。まだ眠たくないんやけどな」と同意する。そうこうしているとスイーパー・チームがやってきて「Are you OK?」と心配してくれた。心強いが弱々しく「OK」と答えて先へ進む。スイーパーが「Next Aid Station  20minute」と告げてくれる。僕はふと、あと20分なんや。日本ならあと何キロって言ってくれるけどと思う。「10minute」の声を聞き、ほんとにそのくらいでCP6にボロボロになって着いた。午前3時半を回っていた。スイーパーにお礼を言おうと思って振り替えったら、もういなかった。「ああ、これでやっと終えられる」身体の僕が安堵した。「風邪ひいていたし、今回はしかたないな」と心の僕が締めた。僕はとにかくまあ、これ以上は先に進むのは無理だし、出し切ったし楽しめたのでこれで十分満足できた。

 そしてCP6には、ありがたいことにストーブを備えたウオーミングテントがあった。テントの中を覗くと、先着の選手たちが地面に敷いた毛布の上に、エマージェンシーシートにくるまって寝転んでいた。僕もスペースをみつけて寝転ぶ。やがてスタッフの人がリタイア申告を取りに来て、しばらくすると回収バスが来ると言う。おやラッキー。ここからどうなるのかと思っていたので、これで路頭に迷うことはなくなった。

 VibramHK100K 2019の僕のレースはこうしてCP6(70km)で幕を閉じた。

1月19日(土)VibramHK100①スタートまで

 1時に目覚めてから4時まで二度寝。と言っても、少し眠っては起きの繰り替えしで結局あまり寝ないまま起床。
 シャワーを浴びて身支度を調えて朝食。サンドイッチ、牛乳、メロンをゆっくりと食べる。今回初投入のGONTEX貼っ足りを両脚に慎重に施す。最後に2種類のドロップバッグ(中間エイドとフィニッシュ地点)の中身を確認して部屋を出た。

 5時45分にロビーに集合してチャーターバスでスタート地点へ移動する。天気は曇り、気温は寒さを感じない程度だ。30分ほどでスタート地点に着く。スタート地点は公園のような場所。まだ夜明け前で、選手もまばらである。中間エイドに送るドロップバッグを預け、お花と二人で公園内のベンチに座って待機する。日本ならスタート地点に物販ブースがいくつか出店しているが、見たところそういうテントがなかったので、ひたすら時が過ぎるのを座って待つ。続々とやってくるランナーたちを見ているだけで飽きないからいいが、お花は退屈そうだ。たまたま隣に来たのは香港のチームサロモンの若い選手たちだった。取材が来たり、外国のサロモンの選手が訪ねてきたり、賑やかに準備をしている。

 すっかり夜が明けてスタートまで30分になったので、防寒ウエアを脱いでフィニッシュ地点に送るドロップバッグに入れて預ける。ツアーの皆と記念撮影し検討をたたえ合いそれぞれのスタート地点に向かう。僕は遅いので、最終の第3ウエーブである。第1ウエーブより15分遅くスタートするため、第1ウエーブのスタートを撮影することにした。音楽も流れずあまり派手な演出もなくMCだけの盛り上げ。香港では大きな大会であると思うーー何しろ全20戦あるUTWT(Ultra-Trail World Tour)の第一戦だーーが、UTMFと比べても、ずいぶんのんびりしたムードが漂う。カウントダウンとともに、第1ウエーブの選手がダッシュでスタートした。

 速いランナーたちを見送り、じぶんのスタート地点に行く前にお花と写真を撮り別れる。風邪は治りつつあるのか。体調は悪くなく、気持ちはリラックスしている。

 いよいよスタート。曇り無風、ちょうどいい気温のなか、第3ウエーブは穏やかに出発した。

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