RUN for UTMB®︎あるいは僕の、走ることについて語るときに僕の語ること。

2018年UTMB®リタイアからはじまる50代トレイルランナーの挑戦記。

ブログをはじめてひと月。

ブログをはじめて1ヶ月がたった。

元来日記というものを書き続けられた試しのない僕が、このブログを1ヶ月も続けて来られたのは奇跡的である。

人生の折返し地点を過ぎて、一般的な思考力を持ち、常識的な判断力を持った人は決して踏み入ることのないウルトラトレイルランニングレース=UTMB®の虜になってしまい、運良くスタートラインに立ったもののあえなくリタイアしてしまった。それがそもそもの、ブログをスタートさせた極めて個人的な動機である。

そんな、現実問題として果たせなかった夢を再び追う軌跡を、記録として残すことにどんな意味があるのかはわからない。しかし、残さないよりも残したほうが「あとあと楽しめる」ーーー一度きりの人生を二度楽しめるかもしれないーーーのではないかと直感的に思ったのかもしれない。

単なる走った距離と時間を刻印するだけの無機質な記録ではもったいないと思ったのだろう。そうであるならば、UTMB®を次に走る幸運に恵まれ、ついに完走することになるまで、僕自身がどのような日々を送り、何を考え、何を成し遂げてきたかをじぶん自身の物語として綴ることは(どんな意味があるにせよ)まんざら無意味なことではないように思う。

少なくとも、じぶん自身の『物語』を書くことによって、じぶんの考えや思いを整理できるという側面はあるだろう。そのことは、いまの職業を続けるうえで役立ってくれるだろうと想像することは、それほど飛躍的なこととは思わない。じぶんの井戸を深く掘ることによって、思いもよらない水脈を見つけられるかもしれない。しかし、それらのギフト(があるとするなら)を望んで書くわけではないことは確かだ。

村上春樹が『走ることについて語るときに僕の語ること』を書き上げたのは50代後半であったという。僕はまだ50代中盤ではあるけれど、じぶんが最も好きで得意としてきた『走ること』について書く時期が、歳をとった僕にも季節のめぐりのように訪れたということか。

レースで言えば、第一エイドに到着したばかり。まだまだフレッシュさがたっぷりある。飛ばしすぎないように、ペースを慎重にコントロールしながらこれからも書き続けていくことができればいい。