RUN for UTMB®︎あるいは僕の、走ることについて語るときに僕の語ること。

2018年UTMB®リタイアからはじまる50代トレイルランナーの挑戦記。

初UTMB®敗退。

 

f:id:arikuroyon54:20180930193946j:plain

f:id:arikuroyon54:20180930193947j:plain

f:id:arikuroyon54:20180930194750j:plain



f:id:arikuroyon54:20180930193950j:plain


2018年8月31日フランス・シャモニー

小雨の降るなか、夢に見たUTMB®のスタートラインに僕は立っていた。

昨年のCCC®はイタリア・クールマイヨールをスタートして、いま立っているシャモニーの三角広場のゴールゲートに制限時間内に無事ーもちろん胃の具合が悪かったり(食べ物を受け付けなくなっている)、右腰が痛かったり、100kmのトレイルを走ったダメージはそれなりにあるー運良く帰って来ることができた。

今年も同じように、このゲートを「運良く」くぐることができるのか?

僕はそんな不安よりも、やっとこの場所に辿り着いた喜びに浸り、スタートの合図を待っている。

 

2年連続サポーターとして同行してくれた高校2年生の娘は、沿道に移動するため、しばらく前にこの場所を離れていた。われわれは別れるとき、軽くハイタッチを交わした。もう僕の周りには、フランス、中国、スペイン、イタリア、ポルトガル、ドイツ・・・世界中からやってきたトレイルランナーばかりとなった。スタートまでの時間、まわりを見るともなしに見回すと、時折ランナーと目が合う。お互いを祝福し、健闘を祈りあうように微笑みを送り合う。そんなランナーたちの周囲には、友人・家族をはじめとした多くの観衆が見守る。

世界最高峰の舞台の幕開けを待つ高揚感が、その場を包んでいた。

 

会場のスピーカーから、ついにUTMB®テーマ曲、ヴァンゲリスのConquest of Paradiseが流れる。一斉に歓声が起こる。ランナーたちはスタート時刻が近づいたことを知る。生演奏のギターが曲にあわせて奏でられる。ところがスタート予定時刻を過ぎてもスタートの合図はない。どうなってるんだろう?そんな思いが起きかけたとき、カウントダウンもなく、いきなりスタートの合図が発せられた。2500人の夢の長旅は、思いがけないあっけなさで幕を開けた。

 

スタートしてシャモニーの街を抜けるまでは、道の両側から賑やかな応援に送られる。僕は右側の端に位置取り、ハイタッチを求める子どもたちの期待に応えた。たくさんの笑顔に見送られ、僕自身も緊張感のない笑顔で走り続けた。じぶんはいま、夢に見たUTMB®のランナーのなかにいる。その事実を噛みしめるように、起こることすべてを見逃さないようにきょろきょろしながら平坦なロードを走った。お花を探しながら走っているが、なかなか出会わないなとムービーの電源を切ったすぐ後に、「パパ!」と沿道

から呼ばれた。通り過ぎるぎりぎりのところで娘をみつけ、瞬間的にムービーのスイッチを入れて彼女を撮った(ほんの一瞬だが、カメラを持った娘を撮ることができていた)。

 

スタートから8km地点の最初のエイド、レズーシュまではウォーミングアップだ。はやる気持ちをおさえて心拍数も140前後をキープして呼吸の乱れもまったく起きないペースを維持することにつとめる。走りながら、これまでのレースでは感じたことのないほどの調子の良さを感じる。マイペースで走り、予定通り1時間でレズーシュに着く。フラスクの水も残っていたためエイドはパス。しかし雨がやみ、暑くなってきたため道端でレインジャケットを脱ぐ。しばらく行くとようやく山道に入り、いよいよリアルスタートだ。僕は、上りで徐々にペースを上げていった。ただし、心拍数と呼吸を抑えて、あくまでもオーバーペースにならないように注意して。

 

最初の峠ラ・ダルバートを越えて下る。そこそこ走れる道のため、ここもオーバーペースにならないように気をつけて下る。日が落ちてすっかり暗くなった。第2エイド、サンジェルヴェ到着。雨が再び降ってきたためレインジャケットを着た。調子よく走っている割にタイムが遅く、関門カット前30分。しかし周りにランナーは多い。大好きなクラッカー、サラミ、チーズの組み合わせを頬張り、水で流し込む。次は上り基調の10kmで、はじめてサポーターが入れる第3エイドのコンタミン。ここも関門カット前33分に到着。エイドに入る手前で娘が僕をみつけてテントのなかの陣取っている場所を教える。テントのなかは大賑わい。われわれのスペースも、とっても狭い。ベンチに越しかけてお花に作ってもらった味噌汁を飲み干す。うまい。僕は「いいペースで前を抜いて行ったけど、これでも1時間近く予定より遅れている」と現状を報告する。ここを出たら少しペースを上げなければと明確に思ったわけではなかったが、身体が「予定より遅れている」という事実に反応した。

 

コンタミンからバルメ峠までは上り8km。ストックを使い快調に歩く。ただし息が上がるほどの速度は出さない。それでも次々に先行者を追い抜けた。まわりのランナーたちの息の荒さが聞こえる。僕の呼吸はまったく乱れない。調子良さが証明されている。しかし結果的には、この調子良さの評価ミスが後に響くことになる。記録を見るとこのわずかな区間で429人をパスしたらしいが、そのときは暗く、歩きに集中していたのでそれほどまでとは思わなかった。明らかに飛ばしすぎ。その反動でBonhomme峠までの5kmで失速し49人に抜かれる。しかし調子が悪くなったわけではない。Bonhommeからの走れる下りではストックを突きながら快調に駆け下りる。これがまた気持ちよく、Chapieuxまでで再度51人をパスする。このセクションも飛ばしすぎないようにと思って走っていたが、あまりにも調子よく気持ちよく走れたのでオーバーペースになっていた。

 

Chapieuxもランナーでごった返していた。着いてから、予想外に疲れていることを感じた。「まずい」と初めてオーバーペースだったことに気づく。体調を回復させるために長めに(38分)滞在してスープを食べてフラスクの飲み物を満たす。Chapieuxを出発してすぐ、まるで悪魔が突然全身に取り付いたように急激な身体の異変を知る。

 

さっきまでと打って変わって、身体のあちこちに鉛を埋め込んだような重だるさを感知する。レースはまだ50kmを過ぎたところなのに。ヘッドライトの明かりが前にも後ろにも伸びる長い上り。ペースはどんどん落ちてくる。さらに幻覚を見るほどの睡魔も襲って来て、セーニュ峠までの上りはふらふらしながら一歩一歩歩いた。気温もぐっと冷え込んできた。その上ヘッドランプの設定を誤っており、持つはずのバッテリーが切れる。予備のバッテリーを使おうとするが、そのための作業も、寒さと疲労で時間がかかる。このセクションで383人に抜かれた。補給食を食べて少し回復するがそれもつかの間、下りも早歩きすらできにくくなり、コンバル湖エイドが遠い。夜が明けると太陽が上ってきた。かすかに体温が戻ってくるが、体調までは戻らない。

 

泥沼から足を引き抜くような全身の倦怠感を引きずりながらコンバル湖エイドにたどり着き、倒れ込むように椅子に座って休む。モンブランの裏側が垣間見える雄大な峰々に挟まれた谷にある最高のロケーションだが、吹きさらしの寒さと疲労で景色を楽しむ余裕はない。ミルク紅茶を胃に流し込むと、一瞬体内に暖かさが広がりわずかに生気が戻る。エイドはランナーも少なくなってきた。40分休みトイレも済ませ、美しい渓谷の道を歩きだす。

 

Mt-Favreまでの上りも休み休みでしか歩けない。前半で最も美しい場所だというのに、手がかじかんで写真も撮る気にならない。クールマイヨールまで10kmほど、計算すると歩き続けるだけでは関門ぎりぎりのライン上にいることがわかった。急がないといけない。

 

下りはまだ小走りができる。Checrouitではランナーが2、3人しかいなくなった。ほとんど最後尾にいるのだと認識する。焦るが、体調が戻ることを期待して眠気覚ましにコーヒーをもらう。しかし気持ちが悪くコップ一杯も飲みきれない。関門が迫っているためエイドを発ち、クールマイヨールまでの下り4kmをできる限り走る。

 

74km地点、サポーターが待つ大エイド、クールマイヨールに到着。

関門閉鎖まで45分しかない。とにかく身体を休めるために、ツアースタッフに横になりたいと伝えると、ベッドに案内してくれた。ヘッドランプの予備バッテリーを使ってしまったので、ヘッドランプの予備がほしいとリクエストする。幸いスタッフのNさんが自分のものを貸してくれた。頼りになるスタッフたちに感謝。

食欲はないが娘に味噌汁をリクエストし、身体の回復のために15分眠ると告げる。汗で冷えるため、トップのインナーとTシャツを着替えて横になる。もちろんこんな短時間、眠れるはずがない。まったく眠ることなく関門閉鎖5分前に「歩いているうちに回復するかもしれないから」と、2日前に家出した猫と道端でひょっこり顔をあわせるようなありえない期待を娘に告げてスタートした。

 

しかしBertoneまでの上り4kmでは全身に力が入らず、足が前に出ない。距離は長いがどうということのない道なのに、一歩出すごとに休憩を必要とするくらいの疲労感。後ろからゆっくり上ってくるランナーを次々にやりすごす。まったく回復するどころか、体中のすべてのエネルギーが枯渇した状態。悪心も起こり食べる意欲も失った。

やっとの思いでBertone小屋に到着。すでにエイドスタッフは片付けを始めようとしていた。しばらくベンチに越し掛けて回復を待つ。スタッフが周囲の先に到着していたランナーにまだ走るか尋ねている。僕も先に進むかストップかの判断を考える。ここから先は昨年CCC®で走ったコースであることも頭をよぎる。次のエイドまで12km。残された時間は2時間半。比較的アップダウンは少ないとはいえ、底をついてしまったいまの体力では途中で動けなくなったときのことを考えてしまう。ここでリタイアするよりも、この先のリタイアはエスケープが難しい。総合的に考えて、進むよりも中止したほうが安全であると判断し、スタッフにリタイアすると宣言した。こうして僕のUTMB®初挑戦は、無残にも半分の行程で敗退することとなった。

 

リタイアは何度も経験しているが、そのたびに惨めな気分になる。こんなめに二度と遭いたくないと思う。特にスタッフからこれからどうすればいいのかを明確に伝えられない場合は、疲れがさらに増す。しかしBertone小屋のイタリア人のスタッフたちはすべてを心得ていた。ナンバーカードを確認し(リタイアするとバーコードを切られる)、無線で連絡し、自力で降りられるかを尋ねられる。いま上ってきた道を降りるのは、当たり前だがほんとうに辛い。しかしそれしか方法がないので仕方ない。すべての手続きがてきぱきと行われ、行ってよいと言われた。こんなに気持ちの良いリタイア処理をされたのは初めてだ。こんなところも「世界最高峰」と呼べる理由があることがわかり、それはそれで価値があった。リタイアした他のランナー(中国人2名、日本人1名)たちとともに麓に降りると地元のレンジャーのランクルが僕たちを待っていてくれていた。クールマイヨールシャモニー行きのバス停まで送ってくれるという。リタイアして気分がよくなったのははじめてだ。UTMB®でリタイアするとどうなるかはわかった。あとは完走するだけ。きっといつか。そのために、やるべきこと、いややれるべきことはまだまだ多い。いまその対策があるだけで、希望がもてる。やれることすべてを注ぎ込んでフィニッシュする地点に、僕はまだ立っていなかった。そう思うと、がぜん挑戦しがいがある。2019年もまだエントリー権は持っている。きっと来年も、シャモニーのスタートラインに立てると信じて、じっくりと準備をしていこうと思う。